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2023-08-09 (Wed) 18:59

【ホラーテラー】[うじの話] … 「今まで生きてて一番怖い体験は何か」と訊いてみた

僕の友人にオカルトの類に詳しく、にも拘らずオカルトと聞くと鼻で笑い飛ばす、Sという奴が居る。

ある日そのSに、「今まで生きてて一番怖い体験は何か」と訊いてみた。
するとSは読んでいた本から僅かに顔を上げて、いつもの興味無さそうな表情でちらりとこちらを見やり、
「一番って……、いちいち順位なんて決めてねえよ」と言った。取り付く島も無いとはこのことか。

「それじゃあ、最近一押しの怖い話とかは?」

僕は負けじと質問を重ねる。
Sは僕に向かってハエでも追い払うかのように手を振った。
それから何か言おうとしたようだが、ふと開きかけた口を閉じて、考える様なそぶりを見せた。
「……なるほど、怖い話か」とSが呟く。
その口調に何やらとても嫌な予感がした。

「一応訊くが、これは相当ヤバい話だ。最後まで聞く覚悟はあるか?」
そこまで言うか。僕は一瞬迷ったが頷く。

「そうか」
ゆっくりと本を閉じ、Sは話し始めた。
「実際に起こった事件だ。数ヶ月前、近くの街で、一人の女子大生が自殺した。それに関わる話だ」

以下しばらくSから聞いた話になる。


大学二年の夏だった。今はもう辞めているんだが、当時俺は駅前の居酒屋でバイトをしてた。
そこで何時だったか、バイト仲間で飲み会をしようって話になった。
場所は一年上の先輩が住んでるアパート。
その人は俺がドリンカー(※裏方でお酒を作る人)として色々教わった先輩だった。
俺らと同じ大学の先輩だ。お前も見たことぐらいはあるだろうな。
自分で言うのも何だが、無愛想な俺にも普通に接してくれる人だった。八方美人と言えば言い方は悪いが。
おそらくその先輩からの誘いじゃなかったら、俺は飲み会なんか断ってたと思う。

当日。集まったメンバーは六,七人だった。
宅飲みだからとことん安上がりにしようってことで、各自スナック菓子やらチューハイなんかを買い込んで、先輩の家に持ちよった。

飲み会は確か夕方の六時に始まって、七時を過ぎる頃にはもう周りは全員酔っぱらいと化していた。
その内、きっかけは忘れた。とにかく、先輩が昔付き合ってた女性の話をしだした。
何でもその女は隣町の大学生で、随分前に別れたそうだが、相手が納得せずしつこく付き纏われ、いわゆるストーカーになってしまったらしい。
その話は前に先輩から聞かされ知っていた。飲み会から数日前の話だ。

「俺は、どうすればいいだろう?」と相談を持ちかけて来る先輩は、真剣に悩んでいる様に見えた。
その時俺は、「誰これ構わず、愛想を振るから……。勘違いする奴が出てきて当然ですよ」と答えた。
我ながら冷たい返答だとは思うが、先輩は納得したようで、「そっか、やっぱりそうだよなあ」なんて言っていた。
後で知った話だと、先輩は他のバイトメンバーにも、同じような相談をしていたようだ。

時間を飲み会当日に戻す。
「最初の方は、まだ許せたんだけどさ。だんだんエスカレートしてきて、『あなたを呪う!』みたいな手紙まで出してくるようになってさ……。まいったよ」
そう言って、酔った先輩はふらふらと立ち上がって、背後の戸棚を探り、その元カノからだと言う手紙を出して俺たちに見せた。

真ん中に先輩の名前があり、あとはA4サイズのルーズリーフにびっしりと『呪う』という文字が書きこまれている。
「きめえ」だの、「ひどい」だの感想が飛んだ。
「……まあ、俺が悪いってのも、分かってんだけどさ。何も、そこまでやることはないだろう……こんなさあ……こんな、」
先輩は自分でも酒に強い方じゃないとは言っていた。その時はろれつも上手く回っていなかった。
でも、だからこそ、つい口を滑らしてしまったんだろう。

「それに、最近さ。なんか俺の部屋、蛆が、出るんだよな……」
先輩がそう呟いた。途端にそれを聞いた全員が、何を喋るでもなく口を開いた。鳩が豆鉄砲食らった様な顔だ。
言った本人も場の空気に気付いて慌てたようだった。
「あ、いや、これ秘密にしてたんだった。しまったな……」
それからは詰問の嵐だ。
最初の方こそ渋っていたが、周りが酒も絡ませながら問い質していくと、ものの数分で先輩は陥落した。
本当は誰かに喋りたかったのかもしれない。

「何かさー。家から帰って来るとさ。シンクの中で何か動いてるんだよ。こう、こう、白くて小さいつぶつぶが数匹。何だろなって思って良く見てみると、……蛆だった。ウジ。昨日なんか、風呂場にも出たぜ。バスの中の排水溝から、栓を押しのけてゾワゾワ湧いてた」

数名の女性陣が同じ色の悲鳴を上げた。
俺と同期のバイト仲間が「で、その後どうしたんすか」と訊くと、
「ああ。普通に、捨てたよ」と先輩は答えて、それから赤い顔で自嘲気味に笑った。
「俺さ……これ、これって。元カノの呪いじゃないかって思ってるんだけど」
再び女性陣から悲鳴が上がる。

その後で、何人かがシンクや風呂とか、先輩が『出る』 って言った水回りの確認をしていたが、生憎というか、その日は何も居なかった。

それから一週間程経った後のことだ。
先輩の元カノが死体で見つかったと聞いた。自殺をしていたのだと。
俺がそれを知ったのは人伝だったが、地方のニュースで取り上げられるくらいには大した事件だったそうだ。
発見のきっかけは、アパートの部屋の周りに異常時発生した蠅だった。
郵便受けの蓋と挟まったチラシとの隙間から、異常な数の蠅が出入りしているのを、
訪ねてきた新聞の勧誘員が見つけたんだそうだ。
アパートの管理人がドアを開けた時は、約数十キロもの肉が腐った果ての猛烈な匂いと、黒い竜巻かと見紛う程の蠅の大群が、同時に中から飛び出してきたらしい。

そして遺体は風呂場で発見された。
部屋の中からは遺書が見つかった。大学ノートに彼女の文字で。
そこには、『人生に悲観して』 という内容だけ書かれていた。
先輩も警察に呼ばれたそうだが、あまり込み入ったことは聞かれなかったそうだ。
警察も最初から自殺として扱っていたんだろう。

発見された時、彼女は死後三週間ほど経っていた。
それはつまり、俺たちが先輩の家で飲み会をしていた時には、
彼女はまだ誰にも見つからず、長風呂を楽しんでいたということだ。
しかし、夏の間に死んだ人間が三週間も放置されたのだから、その様子はすさまじかったと言う。
風呂桶の中で自ら首を掻っ切ったまでは良かったが、場所がアパートの角部屋で、運悪く隣近所に誰も入居者が居なかった。
そのために匂いに気付く者がおらず発見が遅れ、ただの死体から腐乱死体へと昇格をする羽目になった。
何処からか入りこんだ蠅が死体に卵を生み、孵化して蛆が湧く。蛆は蠅となり、その蠅がまた死体に卵を産む。蛆が湧く。
この連鎖は、放っておかれた死体が朽ちるまで続く。
彼女は服を着たままで、発見当時、風呂桶には水は溜まっていなかった。
水というのは、死後人間から染み出す大量の腐乱液も含めてだ。それが無かった。
つまり、風呂の栓が空いていたということだ。
下水道へと通じるその穴にはきっと、
水分と肉とが混ざった腐乱液と一緒に、彼女の身体から湧き出た蛆が流れ込んだみ違いない。
下水道というものがどこまで繋がってるのかは知らないが、
『先輩の家に出たと言う蛆は、彼女の身体をもって生まれた奴らではないか?』
『先輩は元カノに死後もストーカーされた』
その後しばらくの間、バイト内ではそんな噂話が絶えなかった。




「駄目だ……、グロいのは、駄目だ」
ここはSの家。
Sの話を聞くうちに、僕は段々とグロッキー状態になっていた。
隣町で自殺した大学生がすごい状態で見つかったというニュースは、僕にも聞きおぼえがあった。
けれでも、と僕は思う。
確かにちゃんと『怖い話』 ではあったが、やっぱりグロいのは駄目だ。虫も駄目だ。
いや、虫はいいが、ぞわぞわと湧きでて来るのは駄目だ。

「グロいのは駄目だ……」

Sは繰り返す僕の主張を無視して、代わりに欠伸を一つしていた。

「……お前が話しろっつったんだろうが」

「怖い話とグロい話は違うと思う。この世の中には、ちゃんとスプラッターとホラーって二つのジャンルがあってだね」

「それって、同じもんじゃなかったか?」

「違う違う。ホラーっていうのは、もっとこう、スマートに……」

言いかけたが、僕は口をつぐんだ。これを話していると夜を超えて朝になってしまう。

「しかしまあ……、下水を越えてやって来る大量の蛆虫かあ……、なんか夢に出そう」
僕は素直な感想を言っただけのつもりだった。けれどSはそんな僕を見やり、馬鹿にしたように「くっく」と笑った。

「……なんよ?」

「いや。やっぱり怖いなと思ってさ」

「だから、何が?」

「そうやって、人の話を簡単に信じるだろ。それが、怖い」
僕は首をかしげる。Sは何を言いたいのか。人の話を信じることが怖いこと。それは、つまりだ。
考えた末、思考が一つの可能性に行きあたった。

「え……、作り話なん?」

しかしSは、「それは違う」と首を振った。

「事実だよ。さっきの話は、俺が実際に体験したことで。そこに偽りはない」

「んじゃあ、」

「お前は一つ、勘違いをしてる」

僕の言葉を遮り、Sはそう言った。

「まあ、普通に考えれば分かることだが。あの話の中には、一つ、嘘がある」

それはつまり、登場人物の誰かが嘘をついたということだろうか。と言っても、先のSの話の登場人物はそれほど多くない。
そしてS自身は、先程自分の体験が嘘では無いと言った。ならば残された人物は……。

「……先輩が、嘘をついてた?」

そうだとSが頷く。

「でも、何について?」

ため息が聞こえる。おそらくは、僕の頭の回転の鈍さに嫌気がさしているのだろう。
ああ駄目だ駄目だ。自分で頭を叩く。Sに頼りっきりでどうする。考えろ考えろ僕の頭。
先輩は嘘をついていたのだ。何についてか。元カノについて?手紙について?ストーカー被害について?
違う。

「……蛆虫だ」

僕はようやくそこに行き着いた。考えてみれば当然のことだった。
最初から『怖い話』 として聞いていたせいで、常識的な考え方がすっかり抜け落ちていた。
Sを見る。僕の答えは正解だったようだ。

「そうだな。不自然なのは蛆の話だ。普通に考えて、蛆が下水を通って上って来るなんてありえない。排水溝には虫の侵入を防ぐトラップもあるしな。まあ、そこを無視して成立するからホラーなわけだが、現実ではそうもいかない。つまり、嘘だ。あれは先輩の作り話だったんだ」

僕は自分の家の排水溝を覗き込んだ時のことを思い出した。確かに虫が上ってこれない構造になっていた。
それに元々、定期的に水を流していれば、虫は侵入できない。
現実。そうだ、ここは現実なのだ。その言葉が、僕の脳内に記憶されているSの体験談を徐々に浸食していく。

「飲み会があった日は、先輩の元カノが死んで十日が経った頃だった。しかも、蛆が出ると言った場所は、シンク、風呂、トイレ、全部下水から繋がった場所。……ここまでくれば、自然と一つの推測が成り立つ」

そこまで言うと、Sは少し間をおいた。

「……少なくとも、飲み会のあった日。先輩は、元カノがどういう状態で死んでいるのかを知っていた。見つけてたんだ。彼女の遺体を、誰よりも早く」

現実的に考えて、先輩の家に蛆が現れることはない。けれど先輩は、S達に居もしない蛆の話をした。

『彼女の呪いかもしれない』 という言葉まで添えて。
そして、実際彼女は蛆の湧いた状態で見つかった。

「……でもさ、それだけなら、ただの冗談とか、偶然ってこともあるんじゃない? お酒も入ってたわけだし……」

するとSは黙って立ち上がり、戸棚から中から何かを取りだして僕に見せた。
それは、何か文字の書かれた二枚のルーズリーフだった。

「……何これ?」

「彼女の遺書の一部」

「い!?」

Sはそれを僕の目の前に置く。
一枚は普通の文面で何か書かれている。
そしてもう一枚には、誰かの名前を中央に、夥しい数の『呪う』 が書かれていた。
それはSの話に出てきた、彼女の呪いの手紙と酷似している。
何故こんなものがここにあるのか。
何も言えずに僕はSを見やる。Sは肩をすくめた。

「俺だって、蛆の話だけで決め付けたわけじゃない。ただ疑いは持った。それで、事件の後しばらくしてから、先輩んちに行ってな。隙を見て探したら、それ出てきた。飲み会した時にも、気にはなったんだ。棚には鍵掛かってたんだが。そこはまあ、……アレでな」

アレと言うのはおそらく、ここに書いてはいけない技術のことだ。が、まあそれは良いとしてだ。
僕は再び彼女の遺書に視線を戻す。『呪う』 と書かれた紙とは別の方。
そこには『私』 と称した一人の女性が、付き合っていたとある男に浮気され捨てられそうになる、その現状が書かれていた。

「そこにある男ってのが、先輩だ」とSが言った。

「先輩は彼女の家の合鍵を持っていた。随分前に別れたと言っていたが、実際はまだ『合鍵を持てる程の関係』 だった。まだ先輩は別れていなかったんだ。もしかしたら、その話をするために、彼女の家へ行ったのかもな」

遺書の最後には、『今死ねば、私はずっとあなたの彼女でいられる』 と書かれてあった。
この二枚の遺書を先輩は持っていた。
しかし、ふと単純な疑問がよぎる。

「……どうしてすぐに燃やしたりしなかったんだろう?遺書」

「だよな。ま、過ぎたことだ。そこは、本人に訊く以外、何をもってしても想像でしか埋まらん」

Sもそこについてはよく分かってないようだ。何らかの後悔や、それを持つことで贖罪の意識
があったのかもしれない。

「とにかく確かなことは、飲み会があった日の前に、先輩は彼女の家に行ったんだ」
Sは続ける。

「そこで、先輩は彼女の遺体と、この遺書を見つける。先輩は遺書の内、自分の名前がある頁を破り取って逃げた。幸いにも、ルーズリーフだったから痕跡も残らないし。それに、残りの遺書は本物で、かつ、それだけで辻褄が合った」

先輩は通報しなかった。
先輩が逃げた理由は、何となくだが想像ができた。
遺書の内容が事実なら、彼女は先輩の心移りのせいで、自殺にまで追い込まれたことになる。
そこでもしも、先輩が遺体を見つけたその場で通報してしまって、事件が発覚すると、
『移り気によって彼女を自殺させた』 と彼の評判は地に落ちてしまう。それを恐れたのだ。
しかし自ら、『随分別れた元カノに付きまとわれている』 と吹聴し、彼女が十分にストーカーへと変貌した後で、死体が発見された場合はそうはならない。
実際、先輩に下った評価は『死んだはずの元カノにストーカーされる哀れな男』 だったのだから。
死人に口なし。そんな言葉が思い浮かんだ。

「……周りのバイト仲間に訊いてもそうだった。あの飲み会があった日から、一週間程前からだ。先輩が色々な人に、ストーカー相談を持ちかける様になったのは。それに当然だが、先輩は死んだ彼女の彼氏だったんだからな。発見が遅れるのも計算済みだったんだろう」

僕は大きな大きな溜息を吐いた。これで、隠れていた話の大部分が見えてきた。
ただ、一番大きな疑問がまだ残っている。僕はそれを訊かねばならないのだろう。

「でさ……。Sはさ。何で今、これを持ってるの?」
そう言って、僕は目の前の二枚の遺書を指す。

「ん?だから言ったろ。先輩の家にお邪魔した時に、失敬したって」

「そうじゃなくて!……僕が訊きたいのは、Sがこれを盗んでどうしようとしたのか、ってこと。何で、警察の元に、これがいっていないのかってこと」

すると、Sは肩をすくめて少しだけ笑った。
まさか、と僕は思う。Sは先輩のことを見逃したのだろうか。
先輩だと言った。世話になった人だと言った。だから見て見ぬふりをしたのか。

「……お前、普通に考えて、この事件における先輩の、刑事上の責任がどうなるか分かるか?」
「え?」

唐突な質問に僕は口ごもる。

「死体遺棄にはあたるだろうが。しかし、直接の死に関わった積極的な死体遺棄じゃない。更生を誓いさえすれば、ほぼ確実に執行猶予がつくだろうな。ストーカーのでっち上げなんてのはもっと酷い。しらばっくれられたらそこで終い。それに、そもそも被害者が居ないんだからな」

僕には法律の知識など無いから、ここで何か言えるわけが無かった。

「それは、彼の犯した罪からしてみれば、自殺まで追い込まれ、さらに死んだ後にストーカーにされた彼女から見れば、あまりに軽い。と、『個人的に』俺は思ったわけだ。……が、俺は同時に、『個人的に』 先輩に対して恩も感じていた」

だから、とSは言った。
「だから、俺はまず、先輩に訊いてみた。ルーズリーフ見せてな。これからどうするつもりですか、ってな。自首するならそれでいいと思ってたし。ゴネるなら考えがあった」

そうしてSは、先輩に自分が真相を知ったことを告げた。
「意外と簡単に白状したよ。全部。……遺書を見つけて、怖くなってやっちまったんだと。でも、自主はしたくないと言った。あの人の八方美人は、生きている人間限定だったらしい。その後、彼女の悪口を散々聞かされたよ。友達の少ない子で、同情心から構ってやってたら離れなくなって、仕方なく付き合ってた、だとかな」

Sが鼻で笑う。けれども、先輩としてはそうなんだろう。自首する気があるなら、最初から遺書を破って逃げたりしない。

「この事件がもし、彼女の自殺と先輩の遺体遺棄だけで済んでいたら、俺は見逃してたと思う。でも先輩はその後、死人に罪を着せて保身を図った。これは明らかにアンフェアだ。公にしたくないと言う先輩の言い分も分かる。ただし、罰は受けなければならない。だから、俺は一つ提案をした」

提案。どうやらSは、先輩をタダで見逃したわけではないようだった。そのことに少しだけホッとする。
しかし、続くSの言葉は、そんな僕の安堵を軽く吹き飛ばすものだった。

「……先輩の家には今でも、定期的に元カノからの手紙が届くそうだぜ?」

「は?」

僕はつい間抜けな返答をしてしまう。
彼女は死んでいるはずだ。本当に届いたとすればそれは、それこそ現実を離れたホラーになってしまう。

「あ!」

思わず声に出していた。
当たり前のことだ。死者は手紙を送れない。手紙を送るのは生きた人間だ。Sが言う罰とはそういうことだったのだ。

「一体誰に教えたんだよ……、真相を」

僕がそう言うと、Sは『よくできました』 とでも言うように小さく拍手をした。
元カノの遺族か、もしくは交遊のあった人物か。
いずれにせよその人物は、先輩に対してメッセージを送り続けているようだ。
それは『まだ許さない』 か、もしくは『絶対に忘れるな』 だろうか。

「……彼女の父親だよ」とSは言った。

真実を知ったのは死んだ彼女の父だった。

「『彼』 は先輩を訴えることも出来た。そうすれば、俺も協力するつもりだった。でも、『彼』 はそうしなかった。法に照らすことはせず、代わりに、手紙だ」

僕は思う。それは法による罰では無く、個人的な復讐を選んだということだろうか。

「……反社会的だと思うか?けどな、先輩も含め、全員がそれで納得しているんだ。これで良かったと言うつもりはないが、執行猶予を過ぎて全て終わった気になるよりはいいだろ。……噂の通りだよ。彼女は死後も、ちゃんと先輩をストーカーしてる」

ここで僕はようやく今までの話が、何だかとてつもなく大きな何かを含んだ話だったことに気がついた。
僕の知らない間にSはとんでもない経験をしていたのだ。
身体が重い。ただ話を聞いただけで、精神と体力を大きく消耗してしまった様だ。

「……でだ。最後に、もう一つ」

Sが言う。まだ続くのか。僕は露骨にげんなりする。

「もちろん、この話をお前にした意味は、分かってるよな」

「……え。意味?」

そんなことを言われても意味が分からない。この話自体は単純に僕の『怖い話が聞きたい』 から始まったはずだ。
ただ、どうしてか分からないが、はっきりと嫌な予感がした。Sが話し始める前に感じた嫌な予感の正体でもあった。

「今は手紙だけだが……、もしも今後、先輩が誰かに殺されたとする。すると、俺は思うわけだ。犯人はきっと『彼』 に違いないと。で、それが本当に当たっていたら、向こうの方でも、真相を知りうる俺が邪魔だと思うかもしれない」

僕は思う。Sは何を言っているのだろう。

「その果てにもし、俺の身に何か起こったとする。そうなれば、彼女の自殺に始まる、事件の全貌を知りうる人物は、もう犯人とお前だけってことになる。今、全部話したんだからな。……まあ、その後どういう行動に出るかは、お前次第だが……」

そしてSは、真顔で僕の右肩に手を置いた。

「公表するか、黙っとくか。どちらもそれなりにきついだろうが。たった今俺の話を聞いたお前は、万が一の場合は、そのどちらかを選ばなければならない。迷惑な話か?でも、俺は最初に聞いたよな。『この話を聞く覚悟はあるか』 ってよ」

僕は言葉が出なかった。混乱していた。
部屋の外、廊下で回る換気扇の音がいやに大きく聴こえた。
これはどうやら、とんでもないことに巻き込まれたようだぞ。と、脳みその隅の方で誰かが僕に告げていた。
どうしよう。という言葉が、頭の中で暴れまわっている。
まだ肩に手が置かれたままだった。Sが『おい、どうすんだ?』 といった表情で僕を見ている。
怖い。
唾を飲み込む。
その瞬間、頭の中で暴れる『どうしよう』が、『どうしようもない』へと進化した。
僕は無言のままぎこちなく笑い、Sに向かって親指を立てて見せた。

しばしの静寂。
突然、Sが噴き出した。そんなSを見るのは随分久しぶりのことだった。
茫然としていると、Sは僕の肩を二度軽く叩きながら。

「……ジョークだよ」と言った。

「ジョークだ。ジョーク。ワリー。……でも、それなりに怖かったろ?」

その言葉が止めだった。僕の混乱は最高潮に達した。
ジョーク。つまり、冗談。
ジョーク。つまり、悪ふざけを伴った物語。
ジョーク。つまり……。
先輩は?
事件は?
死んだ彼女は?
なんだか前にもこんなことがあった気がするな。

「……あのさ。さっきの話の、どこからどこまでが、ジョーク?」
僕が辛うじてそれだけ尋ねると、再び読みかけの本を開いていたSは、ちらりと僕の方を見やって、

「さあて。どこまでだろうな」と、少し笑いながらそう言った。

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